2月10日_『みつをの書』。☆d(・ω・´。)゜
こんにちはっ


トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの。
トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる。
_みつを
先日建築系のケンプラッツというサイト内で『“なんちゃって天然木”に一言』という記事がありました。
そこに設計者、施工者、建材・設備メーカー、建て主など、さまざまな立場の人がそれぞれの視点で意見を投稿していました。

内容としてはアルミで出来ている木製に似せた玄関ドアの事で、まあ、かなりリアルだとか、触れば冷たいとかどうとか・・・
問題は多分、最後に書いてある筆者の【せめて手の触れる場所ぐらい、本物の木を使いたいと思う。】という文章が多くの人達の何かを引っ張ってしまったようだ・・・

最終的には『適材適所が重要』という事でサイトの管理者は〆ていたけれど、れいこ部長的にはまあ←と同意見ですが、というよりなにより、施主本人が納得する事が一番かな!と。
ただし、ここで重要なのがそれを使う事において、その商品の説明や特徴そして難点をきちんと施主さんに説明して納得頂いているかどうか。ここでしょう!
物って良い所もあって、悪い所もある、
人それぞれに感じ方の違いなんかで見方も変わる。
だから、そこの所をきちんと理解しているかどうかでなんちゃって商品も価値が決まる。
もちろん本物を使う事が一番良いのだけれど、使う場所の条件や用途によってはそうじゃない方が良い場合がありますよね!
それに、『本物』というもの・・・どこまで本物だとわかっているのか?これも問題!

この激論の中で誰かが言っていた言葉。
ニセモノには”偽物”と”似せもの”の両義があることを明確にしたほうが良いと思う。
れいこ部長、な〜るほど


”偽物”と”似せもの”では全く違いますね。
この人も言っていた【似せる技術への素直な評価はしてもよいのではないか? それを使う、使わないを押し付けるのもいかがなものか。】、”似せるための努力”をしているメーカーさんの開発努力はすごいですから

という訳で、今日の『みつをの書』のなかの〈にせもの〉は”偽物”の方ですね!
・・・変なまとめ方。。。

人間は”偽物”だと、あまり幸せには生きられません・・・と、思います。
っぢゃ
